8-6『警備隊長ポプラノステク』


 凪美の町の警備隊隊長である凪美隊長は、自身の執務室のソファで目を覚ました。

凪美隊長「少しは眠れたか……」

 窓から差し込む光のまぶしさに、他人からは一見陰湿そうと評される造形の顔を顰め、いささか寝不足気味な眼を拭いながら、呟く凪美隊長。
 そこへ、彼が目を覚ますのを待っていたかのようなタイミングで、扉がノックされた。

凪美隊長「入ってくれ」

 扉に向けて声を飛ばすと、扉が開かれて一人の女が入って来る。自分の直接の部下である女警備兵の凪美兵Cだった。

凪美兵C「失礼します」

凪美隊長「また何かあったか?」

凪美兵C「いえ、昨晩の詰め所の襲撃以降。異変は報告されていません。ただ……町長が隊長をお呼びです」

凪美隊長「まさか、お叱りかな――了解、行くよ」

 警備隊の制服のまま仮眠を取っていた凪美隊長は、立ち上がってソファに掛けておいた上着を羽織ると、扉へと向かった。



 部屋を出ると、さらに外で待機していた二名の護衛の警備兵が敬礼をし、扉をくぐった凪美隊長と凪美兵Cの後に付く。
 普段であれば護衛など付けない凪美隊長だが、彼の部下達は、侵入者がいつどこから現れるかもしれない現状を鑑み、凪美隊長が護衛を付けることを強く要望した。
 自分を気遣った案を無碍にすることもできず、凪美隊長はこうして護衛されるという慣れない状況に甘んじていた。

凪美兵H「鬱陶しいでしょうが、我慢してください」

 心情を察したのか、護衛の警備兵の一人がそんな言葉を発する。

凪美隊長「心を読むのを止めてくれ」

 護衛の言葉に、苦々しい表情で返す凪美隊長。

凪美隊長「勇者を追ってる各員も、ちゃんと眠ってるんだろうな?」

 凪美隊長は横に居る凪美兵Cに尋ねる。

凪美兵C「各区域隊には交代、休眠を疎かにしないように伝達してあります。皆、少なくとも隊長よりは眠っているはずです」

凪美隊長「ならいいんだが」

 呟きながら、凪美隊長等はやや早い歩調で、目的の町長室を目指した。



 町長室では机を挟んで二人の人物が対峙していた。
 片方は商議会より派遣された中央府の警備兵。もう一人はこの町の町長であった。

商会兵A「傭兵どもめ……!失敗しておめおめ返って来るなど」

 忌々し気に呟く中央府の警備兵。
 二人の間で交わされている今の議題は、昨晩撤退して来た傭兵隊について。そしてその傭兵隊が相手取った、正体不明の敵組織についてだ。

凪美町長「傭兵達の手に負えない相手が出て来たと言うんだから、しょうがないだろう」

 対してこの町の町長凪美町長は、威厳漂う中年男性といった外観に反した、軽い口調で言う。

商会兵A「だからといって、なぜ契約を中止し奴らを帰したのです!?生き残り共に尻拭いをさせるべきだったんだ!」

 執務机をバンと叩き、中央府の警備兵は訴える。

凪美町長「そんな事はしたくなかったんでね。その現れた敵の事を考えれば、犠牲が増えるだけで無意味だろう。それより、情報を持ち帰って来てくれただけでも感謝すべきだ」

商会兵A「何を呑気な――凪美町長殿、事の重要性を分かっているのですか!商会員殿の安否が知れぬ今、あなたにしっかりしていただかないと!」

凪美町長「分かってるさ。だがそもそも、あの村にそこまで躍起になる必要があるのか?」

 憤慨する中央府の警備兵に対して、町長は尋ねる。

商会兵A「草風村長は未だ指示する人間が多い……計画の邪魔になりえる存在は、消しておくべきなのです……!」

凪美町長「物騒な事だ。ま、俺達も人の事を言えた義理ではないが」

 その時、町長室の扉をノックする音が室内に響いた。

商会兵A「ッ――私は捉えた騎士を連行する馬車に同伴し、中央府へ戻ります。この事態を伝えないと」

 中央府の警備兵は、憤慨冷め止まぬ様子のまま、身を翻して町長室の出入り口へと向かった。



凪美隊長「おっと」

 町長室の扉をノックしてほんの数秒立った所で、扉が勢いよく開かれ、凪美隊長は思わず声を零した。

商会兵A「ッ――失礼」

 出て来た中央府の警備兵は、凪美隊長に対して鬱陶しそうな表情を隠そうともせず、言葉面だけでの謝罪を述べると、彼とすれ違って足早に廊下の角へと消えて行った。

凪美町長「入っていいぞ」

 開きっ放しの出入り口から、凪美町長の入室を許可する声が聞こえてくる。

凪美隊長「二人はここで待ってくれ――失礼します」

 護衛の警備隊二人に外で待機するように命じ、凪美隊長と凪美兵Cは、中央府の警備兵と入れ替わりに足を踏み入れた。

凪美隊長「凪美隊長、出頭いたしました」

 入室した凪美隊長は、執務机の前に立って発した。

凪美町長「聞いたよ。昨晩から勇者に振り回され、大分被害が出ているそうじゃないか」

 机越しに目の前に立った凪美隊長に向けて、凪美町長はおもむろに発した。凪美町長の言う事は確かであり、警備隊は昨晩から多くの被害を出していた。
 それは凪美隊長も当然掌握している事であった。
 昨日夕方には、勇者の仲間である騎士を捕縛する際に、凪美隊長の配下の警備兵二名が犠牲となった事はむろんの事、昨晩は、勇者の宿泊する宿の調査に赴いた警備兵長たちが死体となって発見された、勇者を追っていた中央府の警備兵と、拘束した者の移送準備に当たっていた警備兵が、勇者の犠牲になった、警備隊の詰め所が襲撃を受けた、といった報告が続々と凪美隊長の元に上がって来ていた。

凪美兵C「ちょ、町長!決して隊長に非は……!」

 そこへ凪美兵Cが凪美隊長を庇おうと、一歩前に出る。

凪美町長「凪美兵C。お前は外に出ていなさい」

 しかし、凪美町長は前に出て来た凪美兵Cに、静かに退室を促した。

凪美兵C「え……!し、しかし……!」

 その言葉に、異を唱えようとする凪美兵C。

凪美町長「出ていなさい」

凪美兵C「……はい、父様……」

 しかし、再び退室を促され、凪美兵Cはシュンとした様子でそれを承諾した。
 凪美町長の言葉は決して強い物ではなかったが、しかし、実の父のその内に込められた有無を言わせぬ気迫に、凪美兵Cは従うほかなかった。

凪美町長「やれやれ、あいつはお前のためとなると早とちりしがちだな」

 凪美兵Cの退室を見届けた凪美町長は、少し呆れた調子で呟く。

凪美隊長「――申し訳ありません。全て私の落ち度です」

 そんな凪美町長に対して、凪美隊長は、自分の責を受け入れるべく言葉を発する。

凪美町長「あぁ、お前まで早とちりしてくれるな。警備隊から犠牲が出たのは痛ましいことだが、何もその件でお前さんをどうこうしようと、呼び出したわけじゃない」

 しかし対する凪美町長は、どこか軽い調子で凪美隊長の落ち度を否定した。

凪美隊長「ではなぜ私を?」

凪美町長「まぁ待て――よっと」

 凪美町長は自分の椅子から立ち上がると、部屋の端からそこに置いてあった細長い木箱を持ってきて、執務机の上にドカリと置いた。

凪美隊長「……これは」

凪美町長「お前から預かっていた物だ。返すから持って行け」

 言いながら凪美町長は、箱の蓋を開けてその中身を目線で指し示して見せる。
 細長い木箱に収まっていたのは、一本の剣だ。
 剣先から柄までが一貫して漆黒で彩られた、いささか禍々しさを感じさせる大剣。それは、凪美隊長がかつて愛用していた剣だった。

凪美隊長「しかし――これはもう使うまいとお預けしたものです……」

 凪美隊長は受け取りを拒絶する。

凪美町長「はぁ、こういう言い方はしたくなかったんだが――こいつは命令だ」

 あまり気の進まないといった様子で言い放ちながら、凪美町長は再び椅子にドカリと腰を降ろす。

凪美町長「昨晩の傭兵隊の件は聞いてるよな?草風の村は、どうにも半端じゃないやつ等を雇い入れたらしい」

 草風の村に差し向けられた傭兵隊が、その過程で襲撃に遭い、酷い被害を追って撤退して来た事は、凪美隊長も報告で聞いていた。

凪美町長「そいつらが一体何者で、何が目的かは分からない。だが一つ言えるのは、勇者との追いかけっこ以上の荒事が、高い確率でこの町にやってくるって事だ」

 そう言った後に凪美町長は、「いや、もう来てるのかもな……」と言葉を付け加える。

凪美隊長「……昨晩、襲撃された詰め所の警備兵は、二人組の男に襲われたことを覚えていたと報告で聞いています。さらに、宿の調査に向かった隊が死体で見された時の状況も、どこか妙だったと――。もしや、それが――」

凪美町長「かもしれないな」

 凪美隊長の予想に、凪美町長は曖昧な返事を寄越す。

凪美町長「まぁ、相手が勇者だろうと得体のしれない組織だろうと、俺達のやる事は変わらない。この町を脅かす要素を排除する、これが役割だ。――だから、そのための可能な限りの装備をし、事態に備えろ。すでに広間で対応した陣も描かせている。いいか、これは中央のやつ等のためでの、ましてや魔王軍とやらのためでもない。俺達と皆のこの町を守るためだ」

 凪美町長はそう言うと、椅子に預けていた背を起こし、机の上に置かれた箱の中の剣を指し示した。

凪美隊長「………了解です」

 そう返事を返し、凪美隊長はその禍々しい剣を受け取った。



 町の庁舎の上階にあるバルコニー。
 そこにエルフリーダーの姿があった。

エルフリーダー「ふふ」

 彼女は手に小鳥を止まらせている。

 バルコニーの柵の手すりにも数羽の小鳥がとまり、皆、彼女の顔を見上げている。。

エルフリーダー「やだ、つつかないで。くすぐったいわ」

 小鳥たちと戯れ、楽しそうに笑うエルフリーダー。その姿はまるで年端もいかぬ少女のようだった。
 しかし、次の瞬間。小鳥たちは何かに気付き、そして一斉に飛び去っていってしまった。まるで、何か恐ろしいものの気配を感じ取ったかのように。

凪美隊長「見てくれだけは麗しいな」

 そして彼女の背後から、皮肉気な言葉が聞こえてくる。
 エルフリーダーが振り向くと、そこに居たのは他でもない凪美隊長だった。
 陰湿で狡猾そうな風貌の凪美隊長と、可憐な容姿のエルフリーダー。両名の対峙する光景は、知らぬ人間が見れば、見ればまるで、捕らわれのエルフのお姫様と、悪役のようであった。

エルフリーダー「無粋な事をするわね。せっかくかわいい小鳥達とお話していたのに。みんな、あなたの嫌な気配に怯えて逃げていってしまったわ」

凪美隊長「何が小鳥とお話だ、穢れを知らないお姫様のつもりか?本性はドス黒く穢れている癖をして」

 不服げに言ったエルフリーダーに向けて、凪美隊長は嫌悪感に染めた顔で返す。

凪美隊長「エルフは高潔な存在だと聞いていたが、とてもあんたはそうは見えん。ひょっとしてあんたのその耳は、付け耳なんじゃないのか?」

エルフリーダー「あら、正真正銘のエルフを捕まえておいて、付け耳だなんて。失礼しちゃうわね、まったく」

 凪美隊長の痛烈な嫌味に、エルフリーダーは言葉でこそ不服さを示して見せるが、その顔は微笑を浮かべていた。

エルフリーダー「それにしても――最初から微かには感じていたけど、ずいぶん禍々しい気配が強くなったわね、あなた?」

 凪美隊長の様子の変化を感じ取ったエルフリーダーは、しげしげとを彼を眺める。

凪美隊長「あんたには関係ない」

 対して、凪美隊長はぶっきらぼうに一言だけ返した。

凪美隊長「それより、準備をしておけ。あんたらにもまた、動いてもらうことになりそうだ」

エルフリーダー「あらあら、楽しい事になりそうね」

 準備とはすなわち戦い、荒事に対する準備を示したが、エルフリーダーはそれを分かっていながら、まるで遊びにでも出かけるように楽しそうに笑って見せる。
 凪美隊長はそんなエルフリーダーを不快そうに一瞥し、その場を立ち去った。



戻る